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第5話 公開処刑だと思った? 処刑するのは私よ

last update Terakhir Diperbarui: 2025-12-02 18:40:18

 月曜の朝。

 部長席でメールを整理していると──

 秘書アプリの通知が震えた。

《清晴堂 東京本社より:朝倉部長を至急お招きしたいとのこと》

(……来たわね)

 私が返信するより早く、広報の若い子が駆け寄ってきた。

「部長、大変です……!

 清晴堂の神園いずみ様が至急、本社へと……」

(呼びつけるとは、ずいぶん強気ね)

 その瞬間──胸の奥を、六年前のあの光景がねっとりと撫でた。

 純白の令嬢が晴紀の腕を取り、「勘違いした子」と笑った夜。

 絶望と屈辱の記憶が重なって、胸の内側がちり、と焼けた。

 あの痛みだけは、いまだに身体の奥が先に反応する。

(……忘れろと言われても無理よね)

 でも今は──その焼け跡さえ、私を前に進ませる熱になってる。

(見ていなさい。もう私はあの子じゃない)

 私は静かに立ち上がった。

「分かったわ。向かう準備をする」

***

 タクシーが止まったのは、銀座の裏手にそびえる──清晴堂・東京本社。

 石造りの外壁に、黒染めの木枠。

 重厚な暖簾が風に揺れ、

 歴史そのものが建物の空気を支配している。

 けれど、私は知っている。

(……本当はずっと赤字続き)

(格式の看板は立派でも、実態は──神園家の延命措置で辛うじて呼吸しているだけ)

 銀座本店は観光客が絶えない。

 でも、高齢の職人の人件費、設備維持費、原材料高騰──

 全部が時代と逆行している。

(……だからこそ、いま必要とされるのは私。でも彼女は、それだけは認めない)

(そこまで含めて──最初から読めていた)

 古い外観とは裏腹に、エントランスだけは近代的で、全面ガラス張りだ。

 私はそのガラスの自動扉を抜け、受付で名前を告げた。

「リュエールの朝倉様ですね。お待ちしておりました。

 会議室へどうぞ」

(呼びつけておいて丁寧に迎えるって……余裕を見せたいのかしら)

***

 会議室の扉に手をかけた瞬間、中から妙に余裕を含んだ、上から落ちてくるような声が響いた。

「庶民向けの宣伝など不要ですのよ? 清晴堂は選ばれた人のためのブランドですもの」

 語尾がやたら甘い。

 自信に満ち、勝ち誇った見せつけの声色。

(……ああ、完全に公開処刑モードね。呼びつけておいてこれ)

 私は静かに息を整え、扉を押し開けた。

 八つの視線が一斉に私へ向く。

 いずみは、まるで勝利を確信した女そのものだった。

 組んだ脚の角度すら見せ場として計算したような笑み。

 上座にふんぞり返り──来たわね。あなたの立場を思い出させてあげるとでも言いたげな視線。

(六年ぶりに見る顔でも……相変わらずね)

(でも──覚悟なさい)

(私は、あの日から別の生き方をしてきた)

 上座には、創業家の娘で相談役の神園いずみ。

 その隣で、代表取締役・清水晴紀が沈痛な面持ちで沈黙している。

 少し離れた席では、経営企画部長であり晴紀の弟──清水悠斗がタブレットを閉じ、こちらに意識を向けた。

 広報の若いスタッフは、空気に呑まれたまま背筋を固くしている。

(ふふ……公開処刑のつもり? 悪くないわ)

 いずみの目がわずかに見開かれた。

 七年前とは違う私を、ようやく認識したのだろう。

 私は丁寧に微笑む。

「お招きいただきありがとうございます。

 リュエール マーケティング部部長の朝倉です」

 広報の若いスタッフが、一瞬だけ見惚れたように息を呑んだ。

(……こういう反応にも、もう慣れた)

「まずは──弊社の立案したブランド刷新戦略の意図を充分にご理解いただけていないようで……申し訳ありません」

 空気が、ぴん、と張りつめる。

 私は資料を一枚だけ持ち上げ、淡々と続けた。

「一点だけ、誤解がないようにお伺いします。

 清晴堂さまは現在、三期連続の営業赤字。

 累計で四億三千八百万円のマイナス。

 さらに昨期は固定費を削ったにも関わらず、赤字幅は前年の112%に拡大──」

 視線をいずみにだけ向け、ほんのわずか笑む。

「この認識で、相違ありませんよね?」

「それが何かしら? 神園家の支援がありますから、問題ありませんわ」

(出たわね、ビジネスを理解していない側の言い分)

「なるほど。だからこそ、経営方針を改め、ブランドを立て直し、自力での再生を図っている──そう理解しておりました。

 ですが……もし誰かの支援ありきで経営されるのでしたら」

 わざと、少しだけ首を傾ける。

「弊社ができることは、何もございません。契約は、この場で白紙に戻していただいて構いませんよ?」

 ぴたり、と空気が凍った。

 晴紀の喉が上下し、悠斗が驚いたように目を上げる。

(……ここが勝負。ここで手を引かれると、全計画が崩れる)

(でも大丈夫。Dの読みは外れない)

「待ってください、朝倉部長」

 悠斗がタブレットを閉じ、真っ直ぐに私を見る。

(来た)

 晴紀の弟──清水 悠斗。 

 清晴堂の経営企画部長。

 海外MBA帰りで、家族一の切れ者。

 若くても、その目だけは数字を読むプロだ。 

「神園家の支援は保険であって前提ではありません。

 清晴堂は数字で立つ会社であるべきだ。

 朝倉部長の分析は正しい。続けましょう」

 一言で、場の力学がひっくり返る。

 いずみが憎々し気に悠斗をにらみつけ、晴紀が安堵とも戸惑いともつかない色で視線を落とす。

(Dの分析では──いずみとは経営方針で対立している) 

(でも……思った以上に、溝は深い)

(……この隙なら、切り込める)

「では──改めてご説明します」

 私は資料をテーブルに置いた。

「清晴堂さまの最大の強みは、職人の技術と伝統素材。

 これは他社が真似できない、確固たる価値です」

 いずみを除く全員が大きく頷いた。

 そのとき、晴紀の表情がほんのわずかに変わった。

 誇りが、かすかに滲んだ――そんなふうに見えた。

「茶席や旅館などの大口は残っていますが、その量は年々確実に細っています。

 加えて、主要顧客の七割を占める50代以上は、この先間違いなく人口が縮小する。

 どれだけ価値があっても──市場の方が先に消えていきます。」

 いずみの眉が跳ねた。

「一方、一般層の中でも、クラフト品質をきちんと評価する層が確実に伸びています。

 値段ではなく、価値で選ぶ人たち。

 ──今、狙うべきはその層です。御社の強みが一番伝わるのはそこです。」

 若いスタッフが、思わず前のめりになる。

「だからこそ、わが社の提案はそのセグメントに確実に刺す。

 強み × 未開拓市場──

 これが、現状で最も投資対効果の高い打ち手です。

 少人数のサーベイでも、すでに明確な反応が出ています。」

「待って。……また勘違いをされているのではなくって?」

 いずみはわざとらしく微笑み、自分が正しいと信じて疑わない声で続けた。

「清晴堂のお菓子は、格式の分かる方々が召し上がるものですのよ。庶民向け、なんて……そんなことをしたらブランドが汚れますわ。わたくしたちは特別な人たちに選ばれてきたのですもの」

(……来たわね)

 だが、落ち着いた低音がその言葉を切り捨てた。

「……義姉さん。感情は後で」

 晴紀の弟──清水悠斗。

 数字を読むプロの声。

「朝倉部長の分析は妥当です。

 強み × 成長市場は、経営の基本ですよ」

 いずみが何か言い返そうとしたそのとき。

「……二人とも、少し待ってくれ」

 晴紀が静かに割って入った。

「いずみの言う『らしさ』も、朝倉さんの未来案も無視できない。

 なら──折衷案でどうだ」

 そう言ったあと、晴紀は視線を落とし、少し逡巡した。

(……相変わらず優柔不断ね。誰も傷つけない結論なんてないのに)

 その隙を、いずみが逃さない。

「でしたら リュエール以外の会社にも提案を出していただけばよくてよ? 複数社から案を出してもらって、清晴堂にふさわしい方を選べばいいだけの話ですわ」

 あからさまな潰し。

 部屋の空気が一瞬ざらつく。

 そこで──悠斗が静かに言葉を挟んだ。

「……公平にするなら、案は二つでいい。

 リュエールと、姉さんが信頼するもう一社」

 淡々としているのに、逃げ道を封じる声。

「つまり──企画勝負にする、ということです」

 いずみが固まり、晴紀が驚いたように瞬いた。

「朝倉さんの案と、もう一社の案。

 らしさと未来も満たすのは、どちらか」

(いい落としどころ。これなら勝てる)

 私は静かに微笑む。

「承知しました。本気の提案をお持ちしますので、楽しみにしていてください」

***

 会話の温度だけが、まだ指先に残っていた。

 帰り際、資料をまとめて立ち上がろうとしたとき──

 紙束の端に伸ばした私の指が、別の指先とふれた。

 晴紀だった。

 さっきまでの張りつめた空気を隠すように、仕事の声で言う。

「……朝倉部長。企画、楽しみにしています」

 触れた一瞬だけ、胸の奥がひゅっと鳴る。

 ──冬のデートが、不意に蘇った。

 薄着で震えていた私の手を、彼は黙ってポケットに包んでくれた。

 温かくて、少し湿って、ごつごつしていて……あのときは、それが世界でいちばん優しい手だった。

(……思い出すなんて、最悪)

 胸が軋むのを押し殺し、私は冷たく微笑む。

「お気遣いなく。結果は数字で示しますので」

 そっと指を離す。

 晴紀の表情が、かすかに痛んだ──その陰りを、私は見なかったことにした。

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